Googleで検索したから理解した?
サーチエンジンで検索した記事を読んで知った気になって理解した、身につけたと思い込んでいませんか?
そんな人見たことありませんか?
検索
検索するといろいろな検索結果が出てきますよね。みなさんそれ全部読んでます?
ひとつとかふたつしか見ないとか、タイトルやスニペットから期待したことが書いてありそうか否か当たりをつけてサイトを見たりしてます?
検索結果ってたいして当てにならないんじゃないでしょうかね。
検索の仕方、検索した記事の取捨選択の仕方で得られるものに大きな差が生じそうだなと感じるに十分なほどのノイズに溢れてると思います。
そして実は自分の知らない事柄を調べるのって相当難易度が高いんです。
言葉がわからないと調べられませんし。
そんなことから画像検索とか生まれてますが知りたいのは造形のあるものとは限らないので写真や画像でも不十分なんですよね。
「ほらほらあれ!」とか「こないだいってたあれ」っていう共通認識の範囲が広い友人間でしか成立しない「あれあれ」からの「あーあれ?」っていう流れは、Web検索においては未だ無理っぽいです。
ということは、ネット検索はまだまだ十分な機能を有していないっていうことなんですよね。暴論ですか?
理解するとは?
理解することってあらためてどんなことを指すのか考えてみます。ネットの記事を見て、読んで「理解した」は尚早です。
それは素直に「ネットの記事を見た」と言ってください。
記事を読んだだけでその内容を理解することはできることもあるのだと思いますけど、あくまでもその内容次第ですよね?
難しい理論とか読んだだけで理解できれば研究職の人っていらなくないですかね。
あくまでも読んだだけならそれは本当に読んだだけなんですよ。
料理のレシピをネット記事で読んだだけで美味しい料理作れますかね。実際に作ることがまずは必要なんだと思うんですよね。
レシピの料理作れないのに「理解した」とかほんとうに?って思うでしょ。
仕事も全く一緒です。道理や筋道は正しくわかるためには手を動かして自分でやってみることが必要なんです。見たり読んだり触れたら「実践」してください。
知ってる
「知ってる」っていう状態、これ「理解」には程遠いですからね?
「あー聞いたことあるよ」「見たことあるよ」とさほど変わらないです。
検索して記事を読んだ時点ではこの状態です。
先でも触れたように検索って結構難易度高いんですよね。フラットに偏りなく言及したサイトを探すのはかなり難しい。その記事とかサイトひとつだけ見ると確実に偏っていたり時には間違っていたりするので。なぜかって?そりゃー辞書や辞典とは異なるからです。個人の発信しているものなので当然といえば当然です。
となると、その態度のページで得た情報はそのまま鵜呑みにはできないので、異なる立場の記事とか同じ立場の記事でも複数のサイトを漁るとかしないと「正しさ」が担保できないんですよ。
その上で「理解する」ためには様々調べた結果をもとに考察したり実践したりしないといけないんです。
でなけりゃただ見ただけです。
できる
「実践」するからこそ「できる」ようになるんですよね。物事によってはすぐできないんですけど、それはまーそういうこともありますよね。
手を動かして実践したところでできるようにならないし理解できないことなんて山ほどあるんですよ。
そりゃそーです。みんなが理解できるのならほんとに専門家いらないです。
こと、仕事に関しては「できる」ようになるためにひたすら繰り返すことが必要だと思います。「できないことは他の人にやってもらう」というのも当然の解ですが、できないと判断できるまで自分で実践してほしいです。そうすれば「できるひと」へのリスペクトも高まります。良い仕事できるようになると思います。余談だけど。
Memo
「ネット検索」って素晴らしいんですよ。これは紛れもない事実。これまで伝聞や書籍、新聞で得ていた「情報」にたやすくアクセスできるようになったんですから。
ただ、たやすくアクセスできるようになった弊害でしょうか。見るだけでできた気になりがちになったと思います。
情報へのアクセスが容易になった分、自分の手を動かして実践する時間を作ることが必要じゃないでしょうかね。
やってもいないし理解もできていないのに知った顔してるのって気持ち悪いですよね。自分自身。
自戒を込めて記しておきます。