成長機会ってとってもだいじだなという反省を込めて
先日、Wandでこんな記事を書きました。「あんどぷらすの事業展開」
その中でこんなことを書いてまして。
従業員の教育は組織的体系的には未だできていないのだけれどOJTしかないよな。
というか前時代的だけど見て盗め。
※従業員の成長機会について思うところもあって、どうやって機会を与えるのか。そもそも機会を与えるという感覚ってまちがってないか?とかそんなこんなは別の記事で言及すると思います。
というわけで今回「成長機会」と題してお送りします。
そもそも成長ってなに?
成長ってなんでしょうね。ちゃんと考えたことあります?もっともらしく「成長したい」とか簡単に口にしてませんか?
「できなかったことができるようになる」のは成長ですね。わかりやすい。
htmlが分かるようになったとか、phpでforeach書けるようになったとか。
「忍耐強くなった」とか精神的なものも成長ですよね。耳が痛い。とはいえこれも「できなかったことができるようになる」の範疇かなと思います。対象が技能なのか精神なのかの違いでしかないかな。
辞書を引くと生物学的な「育って大きくなる」とか、物事や事象を示すような「規模が大きくなる、成熟する」とか書いてあると思います。ですが、ここではいささか乱暴な気もしますが人の成長においては「できなかったことができるようになる」と定義したいと思います。単純化したほうがわかりやすいので。
なぜ成長したいの?
なぜ成長したいのでしょうか。なぜ成長することを他者に求めるのでしょうか。
難しくいうとマズローがどうとかいやいやアドラーは云々とかなりがちですが、答えは結構単純だと思っていて、「成長することで得られるであろう状態」がほしいんですよね。「phpが書けるようになった自分」、「sqlが使いこなせる自分」になりたいんですよね。つまり、「成長したい」と直接的に願っているのではなく、具体的に「〇〇できるようになりたい」っていう欲求がすなわち「成長したい」という状態なんだと思います。
会社なら「UIデザインができるように」なってほしい。すなわち「成長してほしい」んですよね。
つまりは、「成長したい」は単に欲求なんですよねー。もっと泥臭くストレートに「〇〇できるようになりたい」って言って良いと思いますけどね。蛇足ですけど。
成長機会
どんなときに成長するんでしょう。あ、いやどんなときに「できなかったことができるように」なるんでしょうか。
ピアノを弾いたことがないのにある日突然ピアノが弾けるようになった人っています?マンガ書いたことないのに漫画家になった人っているんでしょうか。
そんな人いるわけないんですよ。すくなくとも私の周りにはいません。頑張って修行して勉強してカメラマンになった人とか、うまくできないと悔し涙を流して努力を続けてイカしたデザインを仕上げてくる人とかならいますけどね。
成長するのに絶対的に必要なことは「できないことをやること」だと思います。ただね、何も考えず「できない」ことを「できない」やりかたで何度も繰り返しても多分できないまんまなんです。やるしかないんだけど、やり方はよく考えろということです。「できるやり方を教えてもらう」のではないんですよね。「やりかた」を考えて。
つまり、人が成長する機会は「できないこと」に直面しそれを今まさに克服しようとしているときだと思います。ただただできないという手も足も出ない状態のときには単に打ちのめされているだけなのでまだ成長とは言えないです。糸口を見出し解決法が確信できたときまさに成長した瞬間なんだと思います。※身についたわけじゃないので油断は禁物ですが。
与える?
成長機会が欲しい若者多そうですね。転職の理由にも「成長したい」っていうのが割と目に付きます。
マネジメント層では成長機会を与えるという表現がされることがあります。個人的にはピンとこないんですけど。
成長が主たる目的ではなくて、業務遂行で成長してもらいたいんですよね。余裕のない小さな会社なので。
すこし背伸びをしたちょっと難しいかもなっていう案件にアサインするっていうくらいが丁度いいかなと思っています。難しいことやらないとね。できないことができるようになるのが成長だから。
実際の案件には初めてやることって非常に多く含まれてるんですよね。とくに弊社のような受託開発が大きなウェイトを占める会社は全く同じ開発ってまーないですよね。毎回違ったことがやれるので成長機会はゴロゴロ転がってるって言って良いと思います。
もっとも、会社としては従業員の成長を最優先に考えて仕事をアサインできるわけではないので、「成長機会は与えられるもの」だとは思わないでください。
会社は粛々と業務をアサインするだけです。
獲得する?
意図的な成長機会が与えられないとはいっても、前述の通りその機会はいっぱい転がってる状況です。「成長のためだけの機会」は与えられないけれども、クライアントからの相談に真摯に取り組んでいれば自ずと成長するような環境がどの会社さんにもあると思うんですよね。
「できなかったことができるようになる」ためには、周りの人に答えとかやり方を教えてもらうだけでは身につかないです。自身で考えて理解することが必須です。
お膳立てしてもらって、1から10まで人に聞いていたらきっと成長にはつながらないと思います。
- 周りを観察すること
- 何が求められているのか考えること
- 自分にできることを模索すること
- 手を上げること
- 決めること
こんなことに気をつけて日々過ごしていたら良いことあると思いますよ。もちろんいついかなる時もこんなことを考えるのはしんどいでしょうけれども、これらの数だけ成長できるんじゃないでしょうかねー。
「成長機会をよこせー」ではなくて、日々の業務のなかにこれまでもこれからもなにかヒントが潜んでいるものだと思います。
Memo
成長を「できないことができるようになること」とざっくり乱暴に定義しましたが、細かく厳密に見ていけば違った定義が出来上がりそうですが、ここでは話の展開上「できないことができるようになること」を成長と定義しました。
終わりの方で触れましたが、興味を持って周りを観察して自分ごとと捉えて「できる」のか「できない」のか判断し「やる」と決めることで成長できるんだと思います。
スタート地点は結局ここに帰結するんですよね。→「人に興味を持つということ」。
あとコレなんかも関連するかも。→「仕事ができるって?」。
あんどぷらすでは会社の体力に見合わないような新卒採用に数年前から力を入れています。育ってくれるまではみんなで支えるという発想の元の採用なのでなかなか売上が増えていかないのですが、着々とあんどぷらすの「地力」はついてきていると思っています。
成長機会はあんどぷらすにもいっぱい転がっていてそれに気づくか、手にするか、すべては本人次第。
「セオリー」は教えてもらったほうが早いのかもしれませんが、それほんとに身についてるのか?という疑問が一向に拭えないのでセオリーでさえも自身で見出してほしい。
答えを知ることではなくて答えを導き出すことができてこその成長だと考えているので、超大手企業のような「ガッツリ半年研修」といったことはあまり想定しておらず、傍目には割とほったらかしに見えると思います。
最近よく思うんですよね。
手取り足取り教えること、ちょっと困ったらすぐ答えを教えること、納期やばそうに見えたら巻き取っちゃうこと、こういうのって当事者の成長機会を摘んでるんじゃないかなって。近視眼的にはそうしたほうが会社としての痛手は回避できますが、中長期的にははたしてどちらが良いことなのかという。
私は、ちょっと苦労してもらおうと思ってます。