• 組織の話 2024.02.04 2辛

    注意しなさいって

    注意しなさいって

    なにかしてはいけないことをしたら注意されるものなんですよ。

    だめなことして叱られるのは当たり前ですからね?
    誰かが困るの。もしかしたら困るのはあなたかもしれないけど、直接的にはあなた以外のひとが困ることのほうが多いんだろうと思うけれども。

    注意されたことを「怒られた」と表現するひとのメンタル

    「叱られる」とか「注意される」っていうのは「怒られた」のとは違うんですけどこの違い知らないひと多いんですか?
    業務上必要な仕事の成果に対するダメ出し、差し戻し、そんなものを「怒られた」と表現するひとがいるようですがちょっとまって?

    例えばデザインカンプ。提出したものにダメ出しするのって怒ってるわけじゃないんですよ。当たり前過ぎて書くのもちょっと億劫になるのだけど、ダメ出ししてるのは「提出物」に対してであって、あなた本ひとのことではないんですよね。

    自分自身を否定されたと捉えるメンタルなんでしょうね。
    ベクトルが自分に向いてると思っちゃうひと。向いてるのはあくまでも提出物なのに。

    とはいえ、ベクトルが自分を向いてると勘違いしていようがいまいが、提出物の検収はしなければならず、期待したクオリティが担保できていなければそれは至極当然に「ダメ出し」になるのです。怒ってないんだよ?

    そもそも「ダメ出し」は「注意」ですらないのだよね。。

    注意するひとしないひと

    昨今気になってることがあるのです。(あらゆる方面にあるのだけれども)前述のようなちょっと注意しにくい(指摘しにくい)感じのひとっているので注意とか指摘とかしづらいんだよなーって。

    めんどくさいから注意しないっていうシチュエーション多くなったなと感じてます。
    注意するのもめんどいし注意した後の関係性がギクシャクするのもめんどくさい。
    結果、ぐっと飲み込んで自分でカバーリングする。

    ダメなものはダメとしっかり注意できるひともいます。
    この種のひとの中にも種類があって、どう思われようと正しくあるべきと注意をするひと、さり気なく気分を害さないように上手に諭すひとさまざま。

    めんどくさいから注意しない
    めんどくさいけど注意する
    組織として求められているのはどっち?

    どちらを評価すべき?

    注意できないひと

    注意「しない」ではなくて注意「できない」ひともいますね。

    そういうひとっていうのはそもそも他人に興味がなくて少し距離の遠いところにいる印象です。
    もしくは、単に「正しさ」「あるべき姿」の認識に齟齬があるのかもしれません。
    ん?なにか問題あるの?みたいな。

    これはこれで、組織の問題に気づいてないという大きな問題だと思います。正しさのしきい値を組織としての共通認識にしなければいけないです。共通認識はビジョンであったり社訓とか社是で示されていて、もっと細かく提示してるケースではルールが明文化されていたりします。

    注意するひとのいない組織の危うさ

    注意するひとがいなくなったらどんな組織になるのでしょうか。

    注意されないと、「問題がある」と認識することができずに一向に改善されずに過ぎていきます。
    注意すると感じが悪くなると思ったとしても、それは組織にとってはなにひとつ良いことはないんですよ。自分が傷つかないことを選択したことによって組織に損害を与える。組織への損害はあなた自身にも波及しますし、あなたの同僚にも当然波及するんですよね。影響範囲はより広い。
    自分かわいさで組織を壊すのはやめていただきたい。切に願います。

    注意とか指摘って必要なんだということに疑問を挟む余地はないと思っているのですが世の中的には憚れるんでしょうかね。
    注意とか指摘されたことに対してその中身の議論を横に置き、言い方の問題にすり替えてしまうのは単なる矮小化で不快です。言い方の問題?わかりますよ。わかるけど注意されたり指摘されたときに「言い方あるでしょ?」という展開をするのは指摘されたことからの逃亡じゃないですかね。

    だめなことやったんだったら注意されることは受け入れなさい。
    注意しない組織は遅かれ早かれ崩壊するんです。注意しない選択をさせない組織をつくらないといけないですね。

    注意するよ

    だからちゃんと注意するようにしましょうよ。

    心理的安全性ってよく言われるじゃないですか。
    勘違いされやすい言葉とも思いますけどね。

    「居心地のいい状態」みたいに勘違いしているひと結構いますよね。本当は「自分の意見を組織内の誰とでも率直に言い合える状態」のことですからね?

    多少の間違いを見ぬふりしたり、なぁなぁにしてなにも注意もしない状態とか心理的安全性とは程遠い状態です。それ単なる生ぬるい組織ですから。いや、それどころか死んでる組織です。

    だいじょうぶ。注意されるべき事柄に対しての注意なんだから言えばいいの。言われたほうも言われて当然のことをしたんだからちゃんと受け入れなさい。

    Memo

    ただね、重要なのはポジションの近い同士で「それだめやろー」とかカジュアルに注意することなんだと思うんですよ。
    管理職からの注意って重たいでしょ?注意されてるひとを見るのもつらいとかいう話も聞くので、なおのこと近い仲間同士でカジュアルに注意してあげるべきなのでは?

    注意しなくて済むのならそれに越したことはないんだけど、してはいけないことをしたときに注意しないでみないことにしたりするのは本当にだめですよね?

    生ぬるいだけの組織ではなく、心理的安全性が担保された活気ある組織のほうが良くないですか?

    本ポスト、自戒を込めて書きました。(いつもだけど。)

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