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いつまで外注構造でいるのか
「パートナーとして伴走します。」
最近、よく見かけるフレーズですよね。
もちろん、悪い言葉ではありません。
でも私は、この言葉を見るたびに少し考えてしまうのですよね。
パートナーというのは、契約で決まるものでも、名乗るものでもなく、仕事を積み重ねた結果として、お互いがそう感じる関係なのではないかと思うからです。
今日は、その前提になる「外注構造」について考えてみます。
外注と外注構造は別の話
最初に整理しておきたいことがあります。
ここでいう「外注」は契約の話ではありません。
仕事を外部へ依頼するときには、請負契約、委任契約、準委任契約など、法律上の契約があります。
成果物を完成させることを目的とする契約もあれば、業務を遂行することを目的とする契約もあります。
責任の範囲が違う以上、この違いは実務ではとても重要です。
一方で、契約形態だけで仕事の関係性まで決まるわけではありません。
請負契約でも、事業について深く議論する会社はあります。
準委任契約でも、言われたことだけを淡々とこなす会社もあります。
契約が決めるのは責任の範囲です。
どのような関係を築くかまでは決めません。
私は、この契約では説明しきれない仕事の関係性を区別して考えたいので、「外注構造」という言葉を使っています。
ここでいう外注構造とは、判断する人と作業する人という役割が固定され、それを誰も疑わなくなってしまった状態のことです。
発注者と受注者という立場の話ではありません。
仕事の役割が「判断」と「作業」に固定されたまま動かなくなること。それが、私が考えている外注構造です。
会社の方向を決めるのは、判断
会社は毎日、たくさんの判断をしています。
- 何をやるのか。
- 何をやらないのか。
- 何を優先するのか。
- 何を後回しにするのか。
その積み重ねが事業になります。
だから私は、制作会社なのか、システム会社なのか、マーケティング会社なのかという分類には、それほど興味がありません。
見ているのは、その会社がどこまで判断に関われるかです。
例えば、
- 「そのページは、本当に必要でしょうか。」
- 「その機能は、今は作らない方が良いと思います。」
- 「広告を増やす前に、商品ページを見直しませんか。」
そんな話ができるなら、その会社は単に作業を請け負っているだけではありません。
事業の判断に関わっています。
私は、その違いこそが、これからますます大きな価値になると思っています。
AIが、この違いを見えやすくした
こうした違いは、以前からありました。
ただ、AIの登場によって、その違いが以前より見えやすくなったように感じています。
- 文章を書くこと。
- デザインを作ること。
- コードを書くこと。
もちろん専門性は必要です。
でも、「作れること」だけでは差別化しにくい時代になりました。
AIによって作業がなくなるというより、作業だけでは価値になりにくくなったと言った方が正確かもしれません。
だからこそ、会社が本当に求めているものが見えやすくなりました。
- 欲しいのは作業なのか。
- それとも判断なのか。
AIが変えたのは仕事そのものではなく、その違いを浮き彫りにしたことなのかもしれませんね。
このあたりは以前書いた「AI時代に残る仕事とは何か」という記事にもつながる話です。
作業を依頼することと、判断を支援してもらうことは異なる
ここで、ひとつ気になることがあります。
作業を依頼しているのに、事業の判断まで期待するケースです。
もちろん、プロとして気付いたことは提案します。
もっと良い方法があれば、お伝えするのも仕事です。
でも、事業を理解し、状況を整理し、選択肢を考え、優先順位を一緒に決めていくことは、それ自体がひとつの専門的な仕事です。
作業の延長ではありません。
だから、求める価値が違えば、契約も、関わり方も変わります。
これは単純な価格の話ではなく、仕事として期待する役割の話ですね。
- 成果物を作ること。
- 判断を支援すること。
どちらも価値があります。
でも、同じ仕事ではありませんよね。
外注構造は、お互いが作っている
ここまで読むと、「受注側がもっと提案すべきだ。」。そんな話に聞こえるかもしれません。
でも、私はそうは思っていないのですよね。
外注構造は、受注側だけが作るものではないからです。
作業を依頼するのであれば、作業を提供する。
それは自然なことです。
一方で、事業についても一緒に考えてほしいのであれば、その役割を最初から共有する必要があります。
役割が曖昧なまま仕事が始まれば、受注側は「そこまでは契約の範囲ではない」と考え、発注側は「そこまで考えてくれると思っていた」と感じます。
これは、どちらが悪いという話ではありません。
期待する役割を共有できていないだけです。
契約は責任を分けるためにあります。
でも、責任を分けることと、考えることまで分けることは違います。
だから私は、外注構造は発注側と受注側が一緒に作っているものだと思っています。
外注構造は変えられる
外注という仕組みは、これからも必要です。
専門性を持った会社と協力することは、とても合理的な経営判断です。
でも、事業が成長しているのに、仕事の関係だけが変わらないとしたらどうでしょう。
いつまでも「判断する人」と「作業する人」が固定されたままでは、お互いの価値は広がりません。
私が「いつまで外注構造でいるのか」と考えるのは、そんな場面です。
外注をやめよう、という話ではありません。
請負契約が悪いわけでもありませんし、準委任契約が優れていると言いたいわけでもありません。
契約は責任の範囲を決めるものです。
でも、仕事の関係までは決めるものではありません。
外注という契約はそのままでも、仕事の関係は変えられます。
呼び方を「パートナー」に変えることではなく、判断を共有できる関係へ変えていくこと。
その積み重ねが、結果としてパートナーと呼ばれる関係をつくるのだと、私は思っています。
Memo
この記事を書きながら、自問自答していました。
私は、お客様に何を提供したいのだろう。
* 制作なのか。
* システムなのか。
* それとも、判断を支援することなのか。
もちろん、契約によって役割は変わります。
だから「全部やります」と言うつもりはありません。
でも逆に、判断まで求められているのに、作業だけを提供して満足してしまう会社にもなりたくありません。
そして、発注する立場になったときも同じです。
* 私は何をお願いしたいのか。
* 手を借りたいのか。
* 知識を借りたいのか。
* それとも、一緒に考えてほしいのか。
ここが曖昧なまま仕事を始めると、お互いに「思っていたのと違う」は繰り返されます。
最近思うのです。
良い外注先を探そうとする会社は多い。
でも、その前に考えるべきことがあります。
自社は、どこまで自分たちで判断し、どこから一緒に考えてほしいのか。
そこが整理されていなければ、どんな会社と仕事をしても、同じことの繰り返しになるかもしれません。
良いパートナーは、探して見つけるものではありません。
外注という契約は、これからもなくならないでしょう。
でも、外注構造は変えられます。
その最初の一歩は、良い外注先を探すことではなく、自分たちがどんな関係を求めているのかを整理することなのかもしれません。




