目次
指示待ちはなぜ生まれるのか
ここまで、
* 第1回 どんな仕事がしたいのか
* 第2回 クリエイターは職種ではない
* 第3回 正先を探す仕事、正解を作る仕事
について書いてきました。
そして今の仕事は、少しずつ「正解を作る側」に比重が移ってきているのではないか、という話でした。
ただ、その一方でよく起きる現象があります。
それが、「指示待ち」です。
指示待ちは能力の問題なのか
指示待ちという言葉は、あまり良い意味では使われません。
* 自分で考えない。
* 動かない。
* 言われるまでやらない。
そういう状態を指して使われることが多いと思います。
ではこれは、単純に能力の問題なのでしょうか。
最近は、少し違う見方をしています。
間違えたくないという感情
まずひとつめは、「間違えたくない」という感情です。
仕事では、間違いがそのまま評価に繋がることがあります。
* 怒られるかもしれない。
* 修正を求められるかもしれない。
* 評価が下がるかもしれない。
そう考えると、「自分で判断するより、正解を待った方が安全だ」という選択になります。
これは合理的な判断でもあります。
責任を負いたくないという構造
ふたつめは、「責任を負いたくない」という構造です。
自分で決めるということは、自分で責任を持つということです。
逆に言えば、指示に従うということは、責任の所在を外に置くことでもあります。
これは個人の性格というより、組織の設計とも関係しています。
どこまでが個人の判断で、どこからが組織の判断なのかが曖昧だと、人はより安全な側に寄ります。
評価されたくないという防衛
みっつめは、「評価されたくない」という防衛です。
人は基本的に、否定されることを避けようとします。
自分の判断が間違っていたときに、
* どう評価されるのか
* どう見られるのか
* どう扱われるのか
それが不明確な環境では、行動は小さくなります。
結果として、「言われたことだけやる」という形に収束していきます。
指示待ちは個人の問題ではない
ここまでの話をまとめると、指示待ちは単純な個人の性質ではありません。
むしろ、
* 間違いへの恐怖
* 責任の設計
* 評価の不確実性
といったものが重なった結果として生まれる状態です。
つまり、環境と関係性の影響が大きい。
それでも残る差
ただ、それでも不思議なことがあります。
同じ環境でも、
* 自分で考える人
* 指示を待つ人
が分かれるということです。
* 同じ評価制度。
* 同じチーム。
* 同じ情報。
それでも差は生まれます。
ではこの差は何なのか。
環境だけでは説明しきれない部分
ここまで見てきたように、指示待ちにはいくつかの理由があります。
* 間違えたくないという不安。
* 責任を負いたくないという構造。
* 評価されることへの慎重さ。
ただ、それだけでは説明しきれない部分も残ります。
ここで「好き」が関係してくる
その差を見ていると、もうひとつ影響しているものがあるように思います。
それは「関心の強さ」や「好き」に近いものです。
* 気になるから見に行く。
* 知りたいから聞きに行く。
* 良くしたいから考える。
この動きがある人は、多少の不安があっても動きます。
逆に、そこまでの関心がない状態では、慎重さの方が勝ちやすい。
指示待ちは「防御」でもある
指示待ちという状態は、怠慢ではなく防御でもあります。
できるだけリスクを減らし、できるだけ評価を安定させるための行動でもあります。
だから単純に「主体性がない」と切り捨てると、本質を見誤る可能性があります。
採用と強くつながる部分
この話が採用とつながるのは、面接では「考えられるかどうか」はある程度見えても、「不確実な状況でどう振る舞うか」は見えにくいからです。
だからこそ、
* 小さな共同作業
* インターン
* 短期の関与
のような接点が重要になります。
Memo
指示待ちは単なる性格ではなく、
* 間違いへの恐怖
* 責任の設計
* 評価への不安
といったものの積み重ねで生まれる状態です。
そしてその中で、人はより安全な選択として「指示を待つ」という行動を取ります。
ただ一方で、その中でも動き出す人がいます。
その差を生んでいるのは、能力というよりも、関心や熱量の違いなのかもしれません。
次回は、「オペレーターとクリエイター」の話に戻りながら、少し整理をしていきます。







