自然と参加する
前回、「あんどぷらすは参加型組織という側面がある」という話を書きました。(あんどぷらすという組織)
今回はシリーズ2回目となります。
理念への共感だけで成立するというよりも、実際の関わりや共同作業を通じて、徐々に組織理解が立ち上がっていく。
そんな構造があるのではないか、という話です。
その流れの中で、最近ずっと考えていることがあります。
それは、「なぜ自然と参加していく人がいるのか」ということです。
指示されなくても動く人がいる
組織の中には、言われなくても関わりに行く人がいます。
例えば、
* 頼まれていないのに調べる
* 他人の実装を見に行く
* 気になった部分を直す
* 会話の流れから課題を察知する
* 自分の担当外でも意見を出す
みたいな動きですね。
もちろん、全員が常にそう動くわけではありません。
ただ、長く組織を見ていると、「自然と参加していく人」が一定数いることに気付きます。
しかも、その行動って、義務感だけでは説明しきれないんですよね。
「好き」が行動を生む
最近は、この違いの根っこには、「好き」があるのではないかと感じています。
ここでいう「好き」は、単なる趣味や憧れではありません。
例えば、
* 技術そのものが好き
* 綺麗な実装を見ると嬉しい
* デザインを考えるのが楽しい
* 問題解決そのものに興味がある
* 全体構造を理解したくなる
* 良い体験を作りたい
みたいな、「対象に対して自然と関心が向き続ける状態」です。
そういう人って、別に“頑張って参加している”感覚ではないんですよね。
気になるから見る。
好きだから触る。
気持ち悪いから直す。
面白いから深掘る。
結果として、自然と関与量が増えていく。
たぶん、参加型組織って、この“自然発生する関与”によって支えられている部分がかなり大きいんだと思います。
「自走」の正体
あんどぷらすでは昔から「自走」という言葉を使っています。
ただ最近、この言葉の解像度も少し変わってきました。
以前は、
* 主体性
* 自律
* 能動性
みたいな意味で捉えていた部分がありました。
でも実際には、「好きだから見に行ってしまう」という感覚のほうが、かなり本質に近かったのかもしれません。
つまり、“努力して自走している”というより、“気付いたら関与している”。
だから、自走って根性論ではなく、「関心が自然と行動を発生させている状態」なのかもしれないな、と最近は思っています。
熱量は伝播する
そしてもう一つ面白いのが、「好き」で動いている人って、周囲にも影響を与えるんですよね。
例えば、
* 楽しそうに深掘りしている人
* 異常に細部へこだわる人
* なぜかずっと改善している人
って、周囲の温度を少し変える。
もちろん、全員が同じ熱量になるわけではありません。
でも、「そこまで考えるんだ」「そこまで見るんだ」という空気は、組織の中に少しずつ蓄積されていく。
逆に、この熱量が減っていくと、参加型組織はかなり弱くなる気がしています。
北風では参加は生まれにくい
一方で、参加って強制ではあまり生まれません。
「もっと主体的に」
「自走してください」
「自分で考えて」
みたいな言葉だけを強くしても、人はそこまで自然には動かない。
むしろ、監視や圧力が強くなるほど、「最低限求められたことだけをやる」という動きになりやすい気がしています。
たぶん、“参加”って、「やらされるもの」ではなく、「自然と関わりたくなる状態」に近いんですよね。
だから重要なのは、管理を強くすることだけではなく、
* 好きでいられること
* 面白がれること
* 関心を持ち続けられること
なのかもしれません。
Memo
最近は、参加型組織というものを、「制度によって成立する組織」というより、「好きによって自然参加が発生する組織」として見るようになってきています。
もちろん、構造や制度は重要です。
ただ、それだけでは、人の関与までは生まれない。
最後に参加を発生させるのは、「もっと知りたい」「もっと良くしたい」「もっと理解したい」という、人間側の熱量なんだろうなと思っています。





