参加型組織と放任は違う
前回、「好き」が参加を生むという話を書きました。
何かを好きで居続けられる人は、自然と対象に関わるようになります。
調べたり、改善したり、理解しようとしたりする。
そうした関与の積み重ねが、組織への参加にもつながっていく。
そんな話でした。
ただ、この話をすると、ときどき誤解されることがあります。
それは、
「参加型組織って、自由にやっていい組織なんですか?」
とか、
「結局、放置される組織なんですか?」
というものです。
個人的には、この二つはかなり違うものだと思っているのですよね。
放任は「関わらない」
放任という言葉を極端に表現すると、
「自由にやってください」
と言ったまま関わらない状態です。
目標も曖昧。
期待も曖昧。
判断基準も曖昧。
困っていても誰も気付かない。
本人にすべてが委ねられているように見えて、実際には何も支援されていない。
これは参加型というより、単に関係性が存在していない状態に近いと思っています。
参加型組織はむしろ接続を求める
一方で、あんどぷらすのような参加型組織は、むしろ逆です。
参加型組織は、
「好きにやっていい」
ではなく、
「関わりながら考える」
ことを前提にしています。
例えば、
* 情報共有の場がある
* プロジェクト管理の仕組みがある
* まわりのひとに相談ができる
* 判断の背景が見える
* フィードバックが返ってくる
といった環境です。
つまり、「参加できる状態」が作られている。
その上で、自分から関わっていく人たちによって、組織が成り立っているんですね。
接続の機会は意外と多い
あんどぷらすを外から見ると、
「自走」
「主体性」
「裁量」
みたいな言葉が先に見えるかもしれません。新卒の会社説明会ではそのあたりもきちんと説明しますしね。
でも実際には、それと同じくらい、
* 会話
* 情報共有
* 共同作業
* 相談
* フィードバック
が存在しています。
顧客からの相談内容も社内で共有されますし、プロジェクトの進行状況も見えるようになっています。
チーム単位でタスク管理もしていますし、必要があれば誰かに相談することもできます。
むしろ、自分ひとりだけで完結している仕事の方が少ないかもしれません。
だから「自由にやってください」ではなく、「ひとりで完結させるのではなく、周囲と話しながら進めてください」の方が実態に近いと思っています。
自走は孤立ではない
「自走」という言葉も、誤解されやすい言葉だなと感じています。
自走というと、
* ひとりで何でも解決する
* 誰にも頼らない
* 勝手に進める
みたいなイメージを持たれることがあります。
でも実際には逆です。
必要な情報を取りに行く。
必要な人に相談する。
状況を理解しようとする。
つまり、自走とは孤立ではなく、自らまわりと協力していく行動なのだと思っています。
参加型組織は他者理解が必要になる
参加型組織って、一見すると自由そうに見えます。
でも実際には、
* 周囲を見る
* 話を聞く
* 状況を理解する
* 他者と関わる
といった行動が求められます。
なので、「自分の担当範囲だけを見ていたい、指示されたことだけやっていたい」という働き方とは、あまり相性が良くないのかもしれません。
これは優劣ではなく、単純に組織との適合性の話です。
Memo
参加型組織と放任は、似ているようで全く違います。
放任は関わらないこと。
参加型組織は、関われる状態を作り、その中で関わることを期待すること。
そして、その関与の起点になるのが、前回書いた「好き」や「関心」なのだと思っています。
好きだから見に行く。
気になるから聞いてみる。
もっと知りたいから調べる。
そうした小さな関与の積み重ねによって、組織への理解も深まっていく。
参加型組織というのは、そういう関係性の上に成り立っているのだろうなと思っています。





