構造で説明できる限界
ここまで、
* 第1回 参加型組織という考え方(あんどぷらすという組織)
* 第2回 「好き」が参加を生むこと
* 第3回 参加型組織と放任の違い
* 第4回 理念への共感と参加は別物であること
* 第5回 参加型組織は熱量によって支えられている
* 第6回 採用は「自然関与」を観測する行為であること
について書いてきました。
そして、ここまで考えてきた結果、最近ひとつの結論にたどり着きつつあります。
それは、「構造だけでは説明できないものがある」ということです。
ずっと構造を整えてきた
僕自身、これまで組織運営においては、かなり構造を重視してきたと思います。
例えば、
* 情報共有の仕組み
* プロジェクト管理
* 評価制度
* チーム体制
* 採用プロセス
などです。
問題が起きれば、「構造に原因があるのではないか」と考えてきました。
そして実際、多くの問題は構造改善によって解決できます。
だから今でも、構造は重要だと思っています。(あらゆる事象において構造が大事だと思っています)
構造が悪い場合もある
実際のところ、
* 情報が届かない。
* 責任範囲が曖昧。
* 判断基準がない。
* 相談先が分からない。
といった問題は、構造に原因があることが少なくありません。
だから何か問題が起きたとき、まず構造を疑うべきだという考え方は今でも変わっていません。
実際、構造を整えることで解決できる問題はたくさんあります。
ただ、それでも説明しきれないことが残るんですよね。
でも説明できないことが残る
* 同じ環境。
* 同じ制度。
* 同じ情報。
* 同じチーム。
にもかかわらず、
* 自然と関わる人がいる。
* 関わらない人がいる。
* 情報を取りに行く人がいる。
* 取りに行かない人がいる。
* 改善を考える人がいる。
* 考えない人がいる。
この差を、構造だけでは説明しきれないんですよね。
構造で説明しようとしていた
振り返ると、僕は長い間、この差も構造で説明できると思っていました。
* 説明が足りないのではないか。
* 評価制度が悪いのではないか。
* 情報共有が不足しているのではないか。
* 運用が悪いのではないか。
そう考えていました。
もちろん、それらが原因だったこともあります。
でも、全部ではなかった。
最後に残ったのは「好き」だった
では、その差は何なのか。
* 能力なのか。
* 理解なのか。
* 制度なのか。
このシリーズを書きながら整理してきたのですが、最後まで残ったものは、能力でもなく、理解でもなく、制度でもなく、「好きから生まれる継続的な関与」だったように思っています。
何かを好きな人は、関わり、知ろうとして、より良くしようとします。
そして、そういった興味を持って関与するような行動は強制されなくても続くんですよね。
熱量は設計できない
もちろん、組織は熱量だけで運営できません。
構造も、制度も、運用も必要です。
でも逆に、構造によって熱量そのものを作り出すこともできないのだと思います。
* 関心を向けること。
* 面白いと思うこと。
* もっと知りたいと思うこと。
そこまでは設計できない。
組織運営の難しさ
だから組織運営は難しいんですよね。
構造だけ整えれば良いわけではない。かといって精神論でもない。
必要なのは、構造を整えること、運用を整えること。
その上で、人が関心を向け続けられる状態を作ることなのだと思っています。
Memo
以前の僕は、組織の問題は構造で解決できると思っていました。
今でも、それは正しいと思っています。
ただ、それが全てではないんですね。
構造は、人が参加できる状態を作ることはできます。
でも、人を参加させることまではできません。
その差を生むのは、関心だったり、熱量だったり、好きだったりするのだと思っています。
参加型組織は、構造だけで成立する組織ではありません。
だからこそ、構造を整えることと同じくらい、人の関心や熱量がどこから生まれるのかを考えることも大切なのだと思っています。







